岸田 國士 作 述懐読み手:吉江 美也子(2013年) |
真夜なかにふと眼が覚めた。パリの下宿の一室である。どうして眼が覚めたのか、と、その瞬間、自分にもわからなかつた。夢を見てゐたやうな気もするが、ど んな夢か覚えてゐない。たゞ妙に口の中がなまぐさく、さう気がつくと、顔に冷たいものが触れ、夜具の襟をそつと撫でてみる。べつとり濡れてゐる。傍らの台 ランプに火を点ける。すると、私の上半身が、正面の戸棚の鏡に映つてゐる。私は愕然とした。
なんの予告もなく、前日まではぴんぴん飛びまはつてゐた私に、喀血、しかも、眼をおほひたくなるやうな大喀血が見舞つたのである・・・