山本 周五郎 作 夕靄の中読み手:福井 慎二(2023年) |
一
彼は立停って、跼み、草履の緒のぐあいを直す恰好で、すばやくそっちへ眼をはしらせた。
――間違いはない、慥かに跟けて来る。
その男はふところ手をして、左右の家並を眺めながら、悠くりとこちらへ歩いて来る。古びた木綿縞の着物に半纒で、裾を端折り、だぶだぶの長い股引に、草履をはいている。仕事を休んだ紙屑買い、といった、ごくありふれた風態である。どこにこれという特徴はないが、とぼけたような眼つきや、ひどく悠くりと、おちついた歩きぶりには、隠すことのできない一種のものがあった。それは老練な猟犬のもつ、誤りのない判断と、嗅ぎつけた獲物は決して遁さない、冷静で執拗なねばり、という感じを連想させるものであった・・・