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林 芙美子

多摩川

読み手:村田 いずみ(2024年)

多摩川

著者:林 芙美子 読み手:村田 いずみ 時間:35分19秒

 あまり暑いので、津田は洗面所へ顏を洗ひに行つた。洗面所には大きい窓があつたが、今日はどんよりして風ひとつない。むしむしした午後である。
「津田さん、お電話ですよ」
 津田が呆んやり窓の外を眺めてゐると、女給仕が津田を呼びに來た。オフイスへ戻つて卓上の電話へ耳をあてると、
「津田さん? 津田さんでいらつしやいますか?」
 と、女の優しい聲がしてゐる。
「私、くみ子です……御無沙汰してをります。今日、東京へ出て參りましたの……」
 初めは誰かと耳をそばだててゐた津田の瞼に、かつてのくみ子の顏が大きく浮んで來た。
「あのね、いま、私、丸ビルまで來てゐますの、下の竹葉で御飯を食べたとこなんですけど、ねえ、あの、一寸、お會ひ出來ませんでせうか?」・・・

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