堀 辰雄 作 大和路・信濃路 樹下読み手:阿蘇 美年子(2019年) |
その藁屋根の古い寺の、木ぶかい墓地へゆく小径のかたわらに、一体の小さな苔蒸した石仏が、笹むらのなかに何かしおらしい姿で、ちらちらと木洩れ日に光って見えている。いずれ観音像かなにかだろうし、しおらしいなどとはもってのほかだが、――いかにもお粗末なもので、石仏といっても、ここいらにはざらにある脆い焼石、――顔も鼻のあたりが欠け、天衣などもすっかり磨滅し、そのうえ苔がほとんど半身を被ってしまっているのだ。右手を頬にあてて、頭を傾げているその姿がちょっとおもしろい。一種の思惟象とでもいうべき様式なのだろうが、そんなむずかしい言葉でその姿を言いあらわすのはすこしおかしい。もうすこし、何んといったらいいか、無心な姿勢だ・・・