薄田 泣菫 作 茶話 山葵読み手:入江 安希子(2019年) |
洋画家の岡野栄氏が学習院の同僚松本愛重博士などと一緒に房州に往つたことがあつた。亜米利加の女が巴里を天国だと思つてゐるやうに、東京の画家や文学者は、天国は房州にあるとでも思つてゐると見えて暇と金さへあれば直ぐに房州へ出かける。
岡野氏はその前房州へ往つた折、うまい松魚を食はされたが、生憎山葵が無くて困つた事を思ひ出して、出がけに出入の八百屋から山葵をしこたま取寄せる事を忘れなかつた。
「那地へ着いたら松魚のうまいのを鱈腹食はせるぞ。」
岡野氏は山葵の風呂敷包を叩き/\かう言つて自慢さうに笑つたものだ・・・