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山川 方夫

予感

読み手:大栗 幸子(2020年)

予感

著者:山川 方夫 読み手:大栗 幸子 時間:6分41秒

 深い谿をへだてた小さな山の斜面に、ぽつぽつ新緑が目立ちはじめ、その山肌に明暗の模様をつくりながら、いくつかの雲の落す影が動いている。遠く近く、早春の褐色の山の起伏がつらなり、それと明るくみずみずしい真青な空との対照は、美しいといえば美しく、和やかといえば和やかな景色だったが、でも、彼はそれどころではなかった。
 彼は、妻とならび、山腹を削りとった道をのぼってゆく、大型バスの座席に揺られていた。妻はキャラメルを頬ばり、幼いころのピクニックなんかの話をしている。その声が、なんだか水の中で聞いているような気がするのは、つまりそれほど標高のたかいところにきたせいなのだろうか。
「耳がいたいの? 弱むし」
「いや。ただボワーンとしてるだけさ」・・・

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