菊池 寛 作 天の配剤読み手:成 文佳(2022年) |
自分が京都に居たとき、いろ/\な物が安かった。食費が月に六円だった。朝が六銭で昼と晩が八銭ずつだった。一日二十二銭の訳なのだが、月極めにすると二十銭に負けて呉れるのだった。素人の家の間を借りて居たが、間代が二円だった。もっとも、自分は大学生として、最もつましい生活をして居たには違ない。が、食と住とが僅か十円以下で足りたかと思うと、隔世の感がある。
二十円足らず送って貰って居た学費でも、そう不自由もしなかった。その頃の五円十円は、それほど有難かった。
大正二年の十一月だった。河合武雄の公衆劇団が京都へ来た・・・